数字(売上)を作ってもメンタル崩壊

私は中学生、高校の時に陸上部(長距離)を6年間活動していましたので靴(ランニングシューズ)に関してはこだわりがありました。戦績としては県大会止まりで終わったのですが、自分の今までの陸上競技生活の経験を何か生かせる仕事につきたくて、陸上競技場マガジンでよく通販のページに載っていた店が、住んでいる場所から近くにあったので応募して入社しました。

配属先は私が希望していた陸上競技関係ではなく、一般のカジュアルスニーカー売り場の担当でした。入社した会社の方針は、先輩の仕事を見て自分が仕事を覚えていくスタイルで、マニュアルがあるわけでも無く先輩が手取り足取り教えてくれるわけでもなかったので、本当に大変でした。それに個人個人の売上を常に順位(1〜150位)をつけられて、比較されていましたので精神的にかなり追い込まれていました。

自分の希望配属先でなくともふてくされて腐らずに頑張った結果、入社3ヶ月で売上ランク2位に上がりその功績が社長に認めてもらい、次の新店舗の副店長を任されました。
全く知らない場所での新天地で、商品の仕入れからアルバイトの管理、売上の管理などを任されました。特に大変だった事が未経験の人の管理でした、社会人1年生の若造の言う事など誰も耳を貸さない状況が続いて、それが店の売上にも響き精神的にかなり追い込まれてしまいました。年中無休の店でしたので何かあれば呼び出しがありすぐに問題を解決しなければならなかったので店がオープンして1年目は休めませんでした。

店がオープンして2年目あたりから、少しずつ人の扱い方も理解して慣れてきました年の近い友人と過ごす時間がほとんど無く仕事漬けの毎日の中、久しぶりに学生の頃の友人から電話があり話をしているうちに、自分の職場の労働環境の異常の様子に気づくことになりました。
休みがきちんと取れていない事、業務量が多い割りに給料が異常に安い事(手取り9万円)平月の店の売上が2500万円で繁忙期セールでは4000万円の売上を作ってアルバイトは6人で店をまわしていたので、私の給料は会社にかなり搾取されていました。
日々がこれだけ忙しく、使うお金もないため店の事を毎日考えて過ごし自分の将来の事については、思考停止でしたので友人の電話がなければ、社畜のまま死んでいたかもしれませんでした。

オープンして3年目を迎える頃、私は会社をやめる決意を固め気持ちを伝えようとした時に、全店舗の売上ナンバーワンの本店の店長をやらないかと打診されましたが、丁重に断り会社を辞める事告げました。
2日後、社長が本店から駆けつけて1日かけて説得してきましたが、将来の事を考えると結婚して家族を養う事(経済的理由)自分の休み時間などの問題が解消されない限りはこの会社にいても幸せにはなれないと思ったので辞めました。
若い独身の時にしかできない体験で過酷で極端な経験でしたが、これはこれで人生の勉強になったと自分の人生を肯定してます。